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 田園クラブ機関誌 03-9月号  NO.109   (作成2003年 8月31日 編集責任者:小野里栄治)

8月のレース結果

 8月 3日富士登山駅伝(御殿場市)  
 区間 1区 2区 3区 4区 5区 6区 7区 8区 9区 10区 11区 最終
03年 林 貞夫 浅井健一 三宅 徹 村尾和彦 黒澤 巧 岡田真晴 黒澤 巧 村尾和彦 三宅 徹 浅井健一 林 貞夫 92位
 記録 0:23:50 0:23:45 0:24:44 0:36:59 1:03:32 1:00:30 0:09:31 0:09:40 0:13:47 0:14:00 0:17:41 4:57:59
 区間順位 102 84 75 85 80 89 60 97 68 65 100 参加103チーム
 通過時間 0:23:50 0:47:35 1:12:19 1:49:18 2:52:50 3:53:20 4:02:51 4:12:31 4:26:18 4:40:18 4:57:59 4:57:59
故川端仁一さんの遺影を持ち、川端京子様・馨雅様・石田等様・好子様も応援に駈けつけてくださいましたが、
力及ばず、9区において無念の繰り上げスタートとなってしまいました。(写真は川端京子様より提供していただきました)
左から姪の馨雅さん、次姉の石田好子さん、義兄の石田等さん、西尾選手     4・8区のスペシャリスト村尾選手
太郎坊に応援に駈けつけてくれたみなさん        9区が繰り上げ後に中継点に到着、村尾選手、無念のラスト

始めて繰り上げスタートを経験した三宅選手     来年は、がんばってタスキを継げましょうね!
9区の繰上げは25チーム!                 お疲れ様でした、今年の田園クラブ駅伝オールキャストです
後方奥に三宅選手がいます 

 参加選手のコメント
 1・11区 林
 今回はご迷惑をおかけしました。申し訳ない気持ちで一杯です。
 ゴールした瞬間、もう二度とこんな敗北感は味わいたくないと思いました。
 今まで中途半端に練習してきましたが、よそ見をせず8月4日から一年は陸上にはまってみようと決めました。
 本当はこの富士登山駅伝の事で話したいこと沢山あるのですが、それは来年までとっておきます。 お疲れ様でした。


 2・10区 浅井
 5月の段階ではトラックの記録が散々な状態でどうなることかと思いましたが、何とか本番に間に合わせることができてほっとしています。
 ただ、さすがに'93〜'95当時に比べ、(トラックでの記録も落ちてるので当然ですが)走力・脚力の低下を特に10区の下りで実感しました。
 繰り上げこそなってしまいましたが、何とか5時間を切ることができたのは、体調や練習状況に差があっても、
 みんなが決してレースを捨てることなく、試走そ の他ささやかでも努力し、当日もその日のベストを尽くした結果だと思います。

 3・9区 三宅
 富士登山駅伝の選手、世話役、応援のみなさん、おつかれさまでございました。
 繰り上げは悔しいけれど、みんなの力で無事ゴールできて良かったです。
 自分としては過去最低の走りでしたが、試走に比べれば、数段気分良く走れました。
 来年は繰り上げにならないことを目標にしましょう!


 4・8区 村尾
 富士登山駅伝のメンバー及び応援の皆様、お疲れ様&ありがとうございました。
 去年のことを思えば、出場できて良かったなあと言うのが一番の感想です。
 走りの方は、とてもご遺影の前に報告できるような内容ではなかったけれども、取り合えず襷をお見せして、
 出場を報告することができました。(繰上げだったので、自分が一番に報告しました。)
 1回目の4区・8区は自己ワースト2。故障は治っているから、これが今の実力。
 テレビに映る大会(別大、札幌国際、富士登山駅伝)の出場は、これで全部卒業(じゃなくてクビ)かな?


 5・7区 黒澤
 参加された皆さんどうもお疲れ様でした。
 メンバーの皆さんには言わなかったのですが、先週の合宿で寒かったせいか、風邪をひいてしまい、
 咳をゴホゴホさせての富士登山駅伝でした。
 ただ、皆さんが言うとおり、今年は好調だったので、6回目にして一番リラックスして望めました。
 ただ残念だったのが繰り上げになってしまったことです。こればっかりは反省しています。
 走る時間は5区+7区が一番長いですからどうしてもここで差が出てしまうのですね。
 ちょっと早すぎますが、来年は5区1時間以内、7区8分台をめざします。
 昨年は故障でご迷惑をおかけしましたので、今年は川端さんに弔いができたと思います。


 山頂区 岡田
 とにかく疲れました。登りは前の人を抜こうという気が起きず、単なる山登りでした。ついに1時間かかってしまいました。
 まあ、川端君の弔いもできたし、息子2人に走っている姿を見せられたし、来年は何とか若返りをはかりたいですね。



 8月27日(水)織田フィールドタイムトライアル
  岡田 5000m 20分48秒


★寄稿

 名選手の思い出(T.谷口浩美選手の巻)
 なかなか顔が出なかった軌跡のシューレスランナー            −三宅 徹ー

  長年陸上競技に接し、陸上競技の雑誌も30年近く読み続けてきた。
 時々実家にかえって寝っころがえりながらそれらを読み返していると、そういえばこんなことがあったな、
 こんなレースがあったんだなと思い返すことが多い。 そんな思い出をちょっと活字にしてみたくなった。
  一般紙がまず確実にこんな記事は書かなかったであろうと思われる、あくまで個人的思い出的な事項について紹介してみたい。
 一緒のレースを走って感激したことや、個人的に印象に残る雑誌や新聞記事もある。
 これらを紹介することで、呼んでくださる方々のスター選手達に対する親しみがより強くなるようだとうれしい。
 手始め、第1回目は奇跡のシューレスランナー谷口浩美さんとしたい・・・・・・

  はじめて陸上雑誌で谷口さんの名前を見つけたのは彼が高校一年の国体少年Bの代表に選ばれたとき(76年)、
 出場選手一覧が月間陸上競技に掲載されたときだった。
 当時は吉冨悟らを擁する大牟田高校が圧倒的な強さを誇っていたが、小林高校にも有望な新人がるのだな、と思った。
 その年の高校駅伝は大牟田高校が優勝候補の筆頭。
 ところが九州大会では小林高校は大牟田高校とわずかに16秒差の2位、高校新記録だった。
 そのとき既に谷口さんは1年生ながら3区をまかされていた。小林高校は4区も1年生の内野朗選手でチーム全体で若返っているように思えた。
 ともかくもインターハイ5000mで3人が入賞した大牟田高校勢に食い下がることのできる1年生に対してかなり関心を持ち、
 どんな選手なのか早く見てみたいと思ったものだ。
 ところがその全国大会では、1区から大牟田の独走、しかも谷口選手は3区でブレーキ。
 そのためか月刊陸上では2区3区の中継の写真が出たが、小さくてどんなお顔の方なのかよく分からなかった。
 翌年、谷口選手はインターハイ5000mに出場、決勝進出したものの17位。
 このときの写真にも谷口選手の姿はほかの選手たちに隠されて見えなかった。
 しかし、この年の高校駅伝は前年の主力選手が残っている小林高校は優勝候補の筆頭。
 1区では16位だったが2区から予定通りに追撃、3区の谷口選手でトップにあと少しの2位まで上がる。
 この時点で小林高校の優勝はほぼ確実といえた。
 翌日の毎日新聞では当然ヒーロとして新聞の顔写真が載る、と思いきや「8人抜きで、優勝を決定付けた谷口選手」
 のタイトルのついたその写真にうつっていたのは、4区を走った内野選手であった(もちろんそれを見たときには谷口さんと思っていたが・・・)。
 小林高校の面々は大笑い、本人は苦笑いしていたのではないか?
 やっとあのおなじみのお顔を拝見できたのは、翌年の月刊陸上2月号のことだった。
  その年のインターハイではまたしても入賞を逃したが、国体5000mで入賞を果たし、
 駅伝では、ソウル五輪の選考レースとなった87年の福岡で激突した工藤一良(名久井農業)と1区で同タイムの2位、
 チームは2連勝を果たした。大学入学後すぐには頭角を現さなかったが、3年の箱根駅伝で山くだりで区間賞、
 翌年は区間新の快走で日体大の優勝に貢献、旭化成入社後*84年の別大毎日マラソンでは初マラソンで優勝、
 その年の福岡国際マラソンで優勝した新宅雅也(後久灯至)を終盤追い上げ2時間10分6秒の2位になった。
 86年の東京国際マラソンで中山竹通を破って優勝、「ケイコ〜頑張ったヨ〜ッ!」のインタビューで一躍「人気者」に。
 その後の活躍は改めて述べるまでもないでしょう。
 が、簡単に述べておくとソウルオリンピックの選考会となる福岡では中山のぶっ飛ばしに潰され代表にはなれなかったが、
 翌年の北京で2時間7分40秒の当時日本歴代2位。
 89年の東京国際で後半の強い向かい風のなか独走で2時間10分を切り優勝91年の東京の世界選手権の優勝で頂点を極め、
 バルセロナも靴が脱げなければ・・・と思わせる快走はまだ記憶に新しい。
  さて、どの雑誌の(おそらくは陸上競技マガジン)どの号に掲載されたのかは記憶がさだかでないが、谷口選手のインタビューがあり、
 かつて、陸上雑誌の表紙に宗兄弟と増田明美さんが合宿でジョッグしている写真が表紙になったそうだ。
 残念ながこの号は買いもらしてない(どなたかお持ちではないですか?)。
 陸上競技マガジンに掲載された記事に出た谷口さんのコメントによると、このとき谷口さんも一緒にジョッグしており、
 元の写真にも一緒に写っていたのだが、いざ表紙になった時には顔の部分だけロゴで隠されてしまったのだそうだ。
 このとき宗さんからは、「もっともっと強くならないと表紙に顔はのせてもらえないんだ」というような意味のことを言われたとのこと。
 どうも谷口選手の顔がなかなか雑誌や新聞にでなかったのは宿命だったようで、
 その宿命と戦うことにより強くなっていったのではないかと自分勝手に想像している。


★平成15年記録 今年から会報に掲載した結果をもとに、年間記録(個人最高)を掲載しています。
400m 800m 1500m 3000m 5000m 10000m 20000m
記録申告なし 黒沢 2’ 7”31
浅井 2’37”60
黒澤 4’19”4
久島 4’43”77

浅井 4’57”08
浅井 10’14”93 熊沢 15’25”61
黒澤 16’54”
三宅 17’19”72
村尾 18’21”8
久島 18’25”79
堀   19’33”
岡田 20’12”
岡田   42’39”
堀  1゜26’03”
5km 10km      10マイル 20Km ハーフマラソン 30km マラソン
久島 18’27”
増田  31’49”
熊沢  31’58”
三宅  36’32”
堀   41’07”
記録申告なし 記録申告なし 三宅 1゜18’01”
黒澤 1゜18’37”
本間 1゜19’32”
村尾 1゜20’45”
堀  1゜25’50”
西尾 1゜33’37”
村尾 1゜55’19”
増田 2゜27’51”
久島 3゜27’53”


★9月の練習会について

 練習は土曜日19:00頃より織田フィールドで行なっていますが、日曜日が試合等でメンバーがそろわない場合もあるので、
 基本的には第3土曜日にはみんなで集まろう!を合言葉にしています。
 *最近雨が降ると「グラウンドコンディション不良のため利用中止」となることがあります。
  天候不順な場合は公園管理事務所に確認の電話を入れたほうがよさそうです。電話:03-3469-6081


★9月以降の試合予定及び申し込み

  9月21日(日)玉造松江毎日マラソン(島根県)
  20キロ 村尾 小野里

 10月 5日(日)東日本国際駅伝(相模原)
 一般の部(12:20スタート) 林・久島・小野里・村尾
 1区10キロ・2〜4区5キロ 4人×25q

 10月12日(日)東京スポーツ祭典(国立競技場)
 申し込みは9月10日頃までに岡田まで(5000m、3000mSCは定員があるので早めに。1種目2200円、2種目3000円)


★訃報
 田園クラブの要的存在であった、川端仁一さんが平成14年7月28日に急逝されました。
 つつしんで故人の冥福を祈るとともに、故川端仁一さんの思い出を会報に掲載致します。
 尚、思い出は、寄稿文を寄せられた方のものから随時掲載させて頂いています。
力走する川端さん 
90.9.23新体連陸上大会5000mを力走する川端さん(駒沢陸上競技場にて)

故川端仁一さんの思い出

 川端さんの陸上競技歴              岡田 真晴
 川端さんの最近について             村尾 和彦
 川端君追悼                     三宅 徹  
 川端さんとの思い出                増田 昌彦
 川端さんに関する思い出             浅井 健一
 
追悼 川端君                    岡田 真晴
 
さようなら川端さん                 小野里栄治
 
川端君のこと                    久島 和夫
 
川端さんのご冥福を心からお祈りいたします 関根 広郎
 星薬大陸上部と川端さん。後輩から一言。  須藤 靖彦
 川端仁一君の思い出               小田 久洋

★お知らせ

 田園クラブ会報:インターネット版になってから(86号以降)のログは小野里が保管しています
 希望の方は連絡下されば、メール送信致します。 小野里へのメールはこちら

 田園クラブ会員連絡用のBBS(掲示板)を設置致しています。
 会報充実・クラブ運営に役立てて行きたいと思いますので、
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